スペースに合わせた注文住宅やアイテムを選んで
繁華街までも歩いていけるくらい至便の地で、私はまたふらりと深夜映画に出かけたり、仕事の空き時間に展覧会を見にいったり、夜中に友だちを誘って飲みにいったりという「都会の文化的不良生活」を始めた。
本屋も図書館も公共スポーツ施設も近所にある。隣人はみなつかず離れずで、会えば挨拶するくらいの関係。
それも心地よい。だが、家そのものについては、「これでいいのか」と悩むことが多い。
もっと自分らしく気持ちよく住む方法があるのではないか。私はせっかくの器を生かしきっていない。
メンテナンスするだけでなく、資金の許す範囲で少しずつでもいいから私たちらしい暮らしができるように改造していきたいし、いくべきではないか。ここで後半生を精神的に豊かにすごすために、暮らしのパートナーとしての“家”について真剣に考えたい。
実に遅いのだが、私はやっと住宅についての本を読みはじめた。そして周囲で都内及び周辺に家を建てたり買った人を訪ねて、なぜ家を建てたのか、どんな意図で建てたのかを聞いた。
その結果、プロローグでも書いたように、三、四十代で東京に一戸建てを建てようと考える“無謀”な人たちは、前の世代とはちがった住宅観を持っていることを知った。家というのは、彼ら彼女らにとって資産ではなく、もちろん投資なんかではなく、暮らしそのものである。
大げさにいえば、生きることにつながっているのだ。好きな服があるように、お気に入りの空間としての家がほしいと思っている。
つまり“家“というのは、住んでいる人の“顔”と同じくらい個性や、ときには人生があらわれているとわかった。私がまだたどりつけずに模索している「自分の居場所として理想的な家」を着実に、自分たちらしく住みこなしている人たちの家は、本当にほれぼれするくらい魅力的だ。
そういう家は住む人を生かす家、人によって生かされる家である。「一戸建てなど贅沢だ」「広さかプライバシーか、何かをがまんしなくてはサラリーマンが家など建てられない」…そんな制約をはねのけて、自分たちの満足のいく家と、その中での豊かな暮らしをちゃんと手にした人たちと、それを実現させた建築家の話を聞いてみた。
いま家を建てる「一般的家族」は減少している?阪神大震災以降、周囲で家を建てる人が増えた。バブルがはじけて不動産価格が下落したのと、地震がきっかけでマンションに不安を持った、という私と似たり寄ったりの動機が多い。
自分も買ったものだから、私は人の家に興味津々だ。そこで知り合いが家を買った、建てた、と聞くと、趣味と取材をかねて見せてもらいに出かけた。
ときには知り合いや建築家から紹介されることもあった。「お宅を拝見したい」と頼むと、たいていの人は快く応じてくれて、おかげで二年間で三十四軒の家を見ることができた。
発見したことがいくつかある。私はこれまで、一戸建てというのは、パパとママと子どもという「一般的家族」がつくる“巣”だと頭から信じていた。
頭の中に、一九七四年にヒットした「あなた」という歌のイメージがしみついていたせいかもしれない。「もしも家を建てるなら、小さな家を建てましょう」という内容のなまぬるい歌詞の歌だ。
やさしいあなた(=夫)と可愛い子どもに犬がいる、庭付の一戸建てが家族が住む家の正当な姿だと、若いころに刷り込まれてしまった。ところが、取材した三十四軒のうち、そういう「一般的家族の家」は十二軒と少数派だったのだ。
あとはどちらかの親と暮らす二世帯住宅、夫婦だけ、一人暮らし、恋人や他人との同居とさまざま。親子で同居しているとはいっても、子どもは成人していて、家には寝に帰ってくるだけでほとんど顔も合わさないという、いわゆる「パラサイト・シングル」がいる家族も増えていることを知った。
また一戸建てに住む以上、昼間主婦が家にいるものだという思い込みもくつがえされた。専業主婦がいるのは十軒だけ。
その家でさえも昼間電話をかけるとほとんど誰も出ない。わが家もそうだが、一戸建ては夫婦で働かないと買えないし、夫婦で働くからこそ一戸建てを買おうという発想が浮かぶのだといえるだろう。
家族のための家から、自分のための家へつぎに、こと一戸建てに関しては、男性側が主導権をにぎる(もしくはにぎろうとする)ケースが多いのにも驚いた。不動産屋や銀行との折衝だけではない。
家の構造からインテリア、家電製品にいたるまで、熱心に調べて勉強し、建築家に注文を出す男性が想像以上に多かった。日本の家は女性が建てる、という“定説”は、いまでは通用しないのかもしれない。
取材を申し込むと「夫が何もかも決めたから、あっちに聞いて」と妻が答える。その口調に、あきらめと不満がまじっていたような気がするのは私の思い過ごしか。
結婚して、子どもが生まれて、ある程度の年齢になったら、さあ、家を建ててこれでおれも男として一人前。お父さん、ありがとう。
あとはしっかり妻の私が家を守ります……一戸建てにまつわるそんなストーリーは、もはや旧世代のものになっている。財産として家を建てる、という発想も一世代前のものだ。
収入も不動産価格も右肩上がりに上がっていくという保証がまったくなくなってしまったいま、高額のローンを組んで一戸建てを持つのはむしろリスクである。それでもどうしても家を持ちたい、建てたい、というエネルギーは、自分らしい生活をするために必要だからというところからわいてくるのではないか。
もちろんいまでも「妻子のために家を建てる夫」という例が、一戸建て施主の半数以上を占めるだろう。だが、少なくとも私の取材した三十四軒では、家は個性とか生き方を表現するための一つの手段になっている例が圧倒的に多かった。
その意味では、着るものや食べるものと共通している。毎回の食事をおろそかにせず、器や食卓のコーディネートにも気を配って食事をする人。
気に入ったブランドやデザインがあり、自分らしい服装をつねに心がけている人。そういう暮らしをしている人が家を持とうとする動機は、家族のため、財産として、というよりは自分のためである。
個人としての生活全般へのこだわりが、家を取得するエネルギーを生みだしているように思えた。「こだわり」が家を持つエネルギーを生むその証拠に、取材した全員が家のどこかに、または何かに、強いこだわりを持っていた。
こだわるところは人によってさまざまである。私は安全性と至便性と広さを重視した。
だが、安全性はともかく、便利なところに住みたいとか、広さが十分でないといやだ、という人は思いがけず少数派だった。家に何を求めるか、どのような空間が快適と思うかは、人それぞれなのだ。
取材した人たちがこだわっていたのは、同居する人との関係も含め、家の中にどのように自分の快適空間をつくりだすか、快適性と環境エネルギー問題とのバランスをどうとるか、そして自分たちが納得のいく生活様式や生活形態をどう実現させていくかという、目にはっきりと見えにくい部分であったといっていい。家族全員の満足度が一○○%という家は、はっきりいってない。
住んでいれば、誰かしら、どこかしら、何かしら不満も出てくるし、欠点も目につく。
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